2015年04月22日

天使の援軍

公式の記録にも残っていて世界でもっとも
信憑性の高い亡霊の集団の話があります。

それは天使の援軍と呼ばれている存在で
第一次世界大戦中、イギリス歩兵団対ドイツ騎馬軍のアモンの戦いに現れました。
戦いに敗れて敗走する英軍と追撃する独軍の間に突如、白く輝く騎馬軍が現れて
それを見たドイツ軍とドイツ軍の馬までもが取り乱したと記録されております。
その白い騎馬団は英軍を安全地まで護送したあと、ふっと姿を消しました。

その存在はイギリスだけでなくドイツ軍の戦詳記録簿にも残されており、
イギリスでは当時大センセーショナルを巻き起こした。
その白い騎馬軍はイギリス軍の記録に「天使の援軍」と称されて書き記されております。

日本にも戦時中に敗走する際にタヌキが力を貸してくれたという話や
海外でも軍用飛行機にイタズラをするグレムリンという悪魔の存在の記録が残っておりますが
物理的に大勢の人間を手助けして、相手側の軍にもその存在を確認され
記録が残されている存在としては、このイギリスの天使の援軍が
もっとも有名な存在だと思われます。
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2013年10月05日

メアリー・セレスト号の悲劇

今回はオカルト事件関係では有名なメアリー・セレスト号の悲劇についてご紹介します。

メアリー・セレスト号は、1861年、カナダのノバスコシア州にあるスペンサー島で
アマゾン号として建造されて、その後何度か所有者がかわり1869年にメアリー・セレスト号と
改名されて、1872年11月7日に工業用アルコールを積みこみ
ベンジャミン・S・ブリッグズ船長とその妻サラ・E・ブリッグズ、
娘ソフィア・マチルダ・ブリッグズ、船員7人の計10人を乗せてイタリアのジェノヴァに向けて
ニューヨークを出航した後、12月4日に無人の状態でポルトガルとアゾレス諸島の間の
大西洋を漂流しているところを発見されました。

発見当時にはポンプは一基を除いて操作不能の状態で、
デッキは水浸しで船倉は約1.1mも浸水していました。
さらに、羅針盤は破壊され、ハッチも食料貯蔵室も共に開いていて、
不可解なことに、船には誰も乗っていない無人の状態であったのにもかかわらず
メアリー・セレスト号の船長室のテーブルにあった朝食は食べかけのままで暖かく、
コーヒーは、まだ湯気を立てており、
調理室では、火にかけたままの鍋が煮立っていて、
船員の部屋には食べかけのチキンと、シチューが残っていました。
そして、船長の航海日誌には、「12月4日、我が妻マリーが・・・・・・」と
走り書きが残っていたということで、船上での怪事件として語られる事が多いです。
金田一少年のアニメなどでもこの船上の怪事件をモチーフにしたエピソードが登場するなど
この話をモチーフにしたアニメ、漫画、小説なども多数あります。


実際の所どうなのかというと、メアリー・セレスト号の事件には
脚色が多数加えられていて、無人で漂流中の船には
作りかけの朝食などはなく、実際には、発見したデイ・グラチア号の乗組員らが
メアリー・セレスト号に乗り込んでみると、船内に人影はなく、
帆やハッチは吹き飛ばされ、甲板の床は水浸しになっていました。
船の航海能力はまだ十分に残っていたものの、救命ボートだけはなくなっていました。

このメアリーセレスト号が無人で漂流することとなった原因は
保険金詐欺で自作自演で船を沈めようとしたが失敗した、
嵐に遭遇した、水中・水上において観測される地震動である海震、
津波、海上で発生した竜巻、乗組員による反乱、
アベル・フォスダイクという密乗者であったとされる人物の手による文書に
記述されているサメによる襲撃など諸説がありますが、
おそらく一番信憑性のある説は、航海中にスコールに遭い、
積み荷のアルコールの入った樽が激しく揺さぶられ、
樽の中に気体が発生して圧力がかかり、樽のフタとハッチが吹き飛ばされ、
積み荷としてアルコールを扱うのが初めてだった船長は、
船もろとも爆発する危険があると思い込み、全員に救命ボートに避難するよう指示したが、
慌てて船とボートをケーブルでつないでおくのを忘れてしまったため、
ボートは船からどんどん遠ざかってしまい、彼らはボートで漂流しながら助けを待っていたが、
船は一隻も通らず、やがて暴風雨が起きてボートは海に飲み込まれてしまった、というものです。
posted by 埼玉県民 at 11:15| Comment(3) | TrackBack(0) | 不思議な話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月16日

歌川国芳の浮世絵にスカイツリー

江戸時代の浮世絵師である歌川国芳が1831年に描いた作品である
東部三ツ股の圖にスカイツリーが描かれていたという事が
昨年から話題になっている。
utakuni.png

場所的にこの辺りは現在の隅田川近辺で、実は180年後のスカイツリーの事を
予知していたのではないか?と噂されてTVや雑誌でも取り上げられたので
知っている人も多いのではないだろうか?
グーグルアースなどで調べた所、場所もピタリと一致していて
これは一体どういうことだと今だに議論になっております。

実際の所どうなのかというとこの絵に描かれているのは
スカイツリーのある場所ではなく、日本橋中洲の辺りから
南側にある三ツ股を描いたものであって、その場所にはスカイツリーは存在しません。
また建造物の構造はスカイツリーに似ているが、これは井戸を掘削するためのやぐらで
他の歌川国芳さんの作品に登場している井戸を掘削するやぐらの絵を描いたものと
完全に一致し、また歌川国芳さんは絵にイタズラを仕掛ける事もあったため
隣に並んでいる火消しのやぐらよりも大きな井戸掘りやぐらを描いて
みんなを驚かせようと考えたのが、180年後の現代のスカイツリーの姿と
ソックリだったため、現代人が驚いたというのが真相のようですね。
posted by 埼玉県民 at 01:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 不思議な話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月09日

亡くなったはずの先生に会った話

私の中学校は受験を控えた3年時に担任の先生の他に
副担任の先生がつくことになっておりました。

私が大学に入学した3年目に部活で腰に大怪我をしてしばらく
整形外科に通院していたのですが、その病院の待合室でたまたま
高校受験の時にお世話になった中学時代の進路担当の副担任の先生と
会いました。懐かしかったこともありいろいろとお話をして、
私が先に施術室に呼ばれたため、挨拶をして先に診察を受けました。
その後もとの椅子の所に戻ると先生がいなかったため、大きな病院であったこともあり
別の診察室(施術室)に呼ばれたのかな?と思い、そのまま帰宅しました。

それから10数年してから、たまたま近所のダイエーで中学3年の時の
友人と再会して、せっかくだから同窓会でも企画しようか?という話になり
翌月、懐かしい面子たちと同窓会で旧交を温めました。
その時に当時の担任の先生に「そういえば副担任の先生の住所にもハガキ送ったのですが
来ないですね。副担の先生には大学の時に怪我したときに整形外科であったのですが
変わってませんでしたよ」と話をすると、「え?あの時の副担任の先生は、君たちが卒業してから
転勤になって、みんなが高校2年生の時に40代の若さでガンで亡くなってるよ。」という
聞かされました。

びっくりしたのもあったのですが、ここで一つおかしいと思ったことがあるのですが
その進路の先生に大学3年生の時に病院の待合室で会って、普通に中学校の時の話や
進路の事や当時の部活の事などいろいろ話をしているのです。
もしかすると当時の担任の先生が勘違いしているのでは?とも思って
体育や美術や音楽の授業を一緒にやっていた隣のクラスの面子も呼んでいたので
当時の隣のクラスの担任の先生にも聞いたのですが、やはり答えは同じでした。

学生の頃からお調子者だったので、その事をあらかじめ知っていた私が
みんなを担いでいたと思われてしまいましたが、あの時会ったのは
亡くなった副担任の先生に間違いありません。もしかすると亡くなった副担任の
先生が様子を見に来ていて、10数年ずっと生身の先生にあったと思っていたのかも
しれません。

わりと私たちが気がつかないぐらい、霊って身近にいて
生活に溶け込んでいると心霊番組でよく言われる事って
本当なのかもしれませんね。


posted by 埼玉県民 at 19:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 不思議な話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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